社説「住宅新報の提言」

大地震への備えを日常活動に

「防災の日」で考えること

 9月1日は「防災の日」。前後して、関東地方では、政府、地方自治体、更に民間企業や団体などが主催する防災訓練が各地で行われる。首長が対策本部長となって消防隊などを動員した大がかりな救援活動を行うものから、地域レベルで備蓄食糧の入れ替えといったささやかなものまで、規模や趣向は様々だが、防災訓練が大地震に対する備えの意識を高めることは間違いないだろう。この日を気持ちを新たにする日として位置付けると、忘れやすい我々も備えや心構え、いざという時の行動なども改めて確認できる。

災害に強い都市へ

 この日が「防災の日」になった関東大震災は87年前(大正12年)に起こった。正午前、相模湾北西を震源とするマグニチュード7・9の海溝型大地震が関東地方を襲った。死者・行方不明者10万5000人余、家屋全壊12万8000戸、半壊12万6000戸、焼失家屋44万7000戸という大災害だった。当時は木造家屋が多く、耐火耐震設計の建物も少ないなど、現在とは状況が異なるが、この大震災は都市改造、災害に強い都市づくりへの契機となった。
 その?記念碑?的存在だった「同潤会アパート」は、震災復興住宅として東京都心周辺に幾つも造られたが、今ではほとんどが新しいビルや高層マンションに建て替えられた。年月の経過と共に、大震災の記憶は薄れる。

阪神、中越などの記憶

 地震国・にっぽん。最近では、95年の阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)、04年の中越地震、07年の中越沖地震、08年の岩手宮城内陸地震などが記憶に新しい。
 特に、阪神淡路大震災は、都市基盤の安全性と危うい現実を教えてくれた。住宅やビルの倒壊だけでなく、高速道路が倒れたのは衝撃的だった。中越地震では新幹線が初めて脱線。中越沖地震は原発を直撃した。いずれも、当初の設計や技術水準を超える衝撃の可能性を示したものだったが、大きな二次災害などが避けられたのは幸運だった。
 今後も、宮城県沖から関東、東海、東南海など、大都市などを襲う大きな地震が幾つも予想されている。それだけに防災訓練もより実践型へ転換。人命救助や火災の消化、さらに食料や医療体制などだ。ただ、訓練参加者はまだ、役所や町会役員など一部の関係者に限られ、広がりはまだ不十分と言わざるを得ない。
 大地震に遭遇する確率は、時間的には就業、就学中よりもそれ以外の方が高い。これは職場や学校だけでなく、地域での活動が重要であることを示している。震災対応や備え、訓練はむしろ、地域での日常生活、活動の中に、重点を置いて取り組むべきだろう。安全安心な暮らしと、大震災から自らと家族を守るためにも。