翔経塾 記事一覧
翔経塾
1988年、住宅産業開発協会(現・全国住宅産業協会)に所属していたメンバー18人の社長が中心となってスタートした「翔経塾」。今年、創立から30周年を迎え、メンバーは60人を超えた(現在64人)。そこで、30周年の思い、今後の運営、次世代への承継など更なる発展を目指すメンバーに話を聞いた。
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翔経塾30周年を迎えて (32)株式会社エリア庄野栄一社長 ものづくりのように会社を育てる
■休眠会社を分社化し独立へ 大学卒業後に米国留学を果たし、帰国して最初に勤務したのは、日本住宅金融株式会社の財務本部・国際部。不動産に関する業務はありませんでしたが、不動産と金融は切り離せない関係だと(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (31)株式会社SD建築企画研究所清水真人取締役 理想は「守りつつ攻める」
■人材会社での経験強みに 私が不動産の知識に初めて触れたのは19歳。宅建の資格を取った時でした。幼少期から休日には代々木上原にある父(同社・清水修司代表取締役、元全日本不動産協会副理事長)の会社に遊び(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (30)東神興業株式会社根田吉雄社長 父の背中を見て想う
入社してすぐはバイト時代と同じ管理の仕事をしていましたが、あるときから社長室付を命じられ、かばん持ちから運転手、総務や会計といった業務に携わるようになりました。その後、企画開発の部署で未開発物件のア(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (29)株式会社大勝 小勝次郎社長 歴史の深さに感銘 堂々と語れる先代に
■社員と一緒に会社を作り上げてきた 私どもは、総合建設業(建築、土木、機械設備、リニューアル、仮設足場、解体)を営んでいる会社で、主に建築工事、特に分譲マンションの新築工事が売り上げの8割程度を占めて(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (28)株式会社ジェイ・エス・プラス神津大介社長 時代に応じた新たなチャレンジを
■承継で初めて教えられた厳しさ 表立っては言わなかったものの、父のほうには内心事業を継いでほしい気持ちがあったのだと思います。だから家業に携わりたいと伝えたときには、とても快く迎えてくれました。た(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (27)日建建設株式会社金子幸生社長 自社の承継はこれからの課題
■大学2年で承継を意識 当社は、1946年に祖父が土木建築請負業として個人創業し、今年、設立68周年を迎えました。主に公共施設・公営住宅・共同住宅(分譲・賃貸)・商業施設・福祉施設などの建築を手掛け、子会社(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (26)株式会社フォーユー吉野聡志取締役
■航空機システム管理から不動産業に 私が当社に入社したのは14年6月で、ようやく4年が経ったところです。大学卒業後は日本航空のシステム会社に就職し、15年間システム畑を歩んできました。子供のころから飛行(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (25)(有)リ・デザイン&プロモーション吉田伸成氏 業界の発展が次世代へのバトン
■翔経塾は生きた教科書 翔経塾に入ったきっかけですが、トーセイの山口社長と父との間で取引関係があり、その際に山口社長が三井不動産販売での先輩にあたるという話から、直接連絡を受け、誘っていただいたと(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (24)ヨシコン株式会社吉田尚洋副社長 祖業で不動産事業との一体的展開を
■メンバーになれて感謝 翔経塾30周年おめでとうございます。長きにわたり会を守られてきた先輩、会員の皆様に敬意を表するとともに、歴史ある本塾の一員にさせていただいたことに改めて感謝申し上げます。(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (23)山田建設株式会社山田照社長 会社の真の資産は 歴史と信用と人との絆にある
■父の姿を見て将来は継ぎたいと 私の自宅は、会社のあるビルの上の階にありました。ですから、父が会社で働いている姿や、職人さんが出入りしている状況を常に間近で見ることのできる生活でした。時には職人さんに(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (22)大賀不動産株式会社山口浩之社長 ゼロからのスタート 更なる塾の発展を願う
■転機となった 東京での生活 私は、そもそも、兵庫県尼崎市の金属製品素材メーカーに勤務していました。1993(平成5)年、大賀不動産の先代社長に東京に来ないかと誘われました。その当初はお断りしておりまし(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (21)トーセイ株式会社山口誠一郎社長 承継とは何かを考える
■切磋琢磨できる仲間 「男は敷居を跨げば七人の敵あり」ということわざがあります。父には、「戦場に七人の敵ありと肝に銘じ、大胆かつ緻密に行動すべきだ」と教わったのですが、私は反対に「戦場に出れば七人(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (20)有限会社ライフプラン南譲治社長 「好きなことを仕事に」が理想
翔経塾に入ったのは、今から10年ほど前のことでした。事前に「同業の皆さんで親睦を図る会だから、楽しくやりましょう」とうかがっていたのですが、実際に参加してみると、皆さん楽しく遊ぶだけではなくて、仕事に(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (19)株式会社アドミラル前田利幸社長 物づくりにこだわる息子への期待
私が二代目の会「承継者の会(現翔経塾)」に参加したのは会創設から3、4年経った頃だと思います。現在の花沢ホールディングス代表である花沢仁さんからお誘いを受けました。会創設から今年で30年目ですが、不動産業(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (18)株式会社NIC細川慶隆社長 「常に興大が原点」の気持ちを忘れない
■創業の想いを受け継ぐ 翔経塾が20周年を迎えた08(平成20)年は、私にとっても会社にとっても大きく変化した年でした。 父が92(平成4)年に創業した「株式会社興大」は倒産の運びとなり、私自身も勤めていた(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (17)明和地所株式会社原田英明社長 創業者の父に学んだ経営マインド
■心強い存在 私が翔経塾に入ったのは、05(平成17)年に社長に就任した後になります。同業者ということですでに面識ある方も何人かいる中で、日本ハウズイング株式会社の小佐野社長に「二代目の会なので一緒に活(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (16) 株式会社JNコミュニティ原拓平社長 合併を乗り越え一つになれた
■将来を見据え合併に踏み切る 私が(株)ジャーネットシステム(現JNコミュニティ)に代表取締役として就任した際に、この会社をよりよい会社にするため、積極的に取り組んだ内容の一つは、社員との距離感をなくし(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (15)株式会社リゾン橋本太樹社長 次世代への橋渡しこそ使命
■縁がつながり不動産業へ リゾンは、私の祖父が興した不動産会社「橋本不動産」がスタートです。しばらく自宅が事務所だったこともあり、看板が残っていましたので、幼いときから不動産業を営んでいるという自(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (14)株式会社リゾン橋本岩樹会長 永遠の未来につなぐ
■翔経塾への感謝と敬意 この会はバブルの景気が最高に沸いた時を体験し、バブル崩壊した真冬の氷河期を体験し、経営交代、また、世代交代を経験し、さらに、リーマンショック等々あらゆる変遷を乗り越えて、今(続く) -
翔経塾30周年を迎えて (13)東雲アドバイザーズ株式会社豊島義憲専務 少数精鋭の同志とともに
■イレギュラーな立場 翔経塾との出会いは、前職24、25歳の時に、別の不動産会社の集まり「東京都不動産のれん会」で東神興業(株)の根田社長と懇意にさせてもらっている中で、声を掛けていただいたのがきっかけです(続く)