全国市街地の変遷 記事一覧
全国市街地の変遷
全国の都市は昭和期に大きな発展を遂げて平成を迎えた後、バブル崩壊を経験して既に29年。長引く不況を通じて大都市と地方の格差は広がりましたが、どっこい、新たな可能性を求めて地方都市の奮闘は続いています。そうした各地の挑戦や取り組みなどを紹介します。
-
一般財団法人日本不動産研究所(28) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 山梨県甲府市・城をシンボルにまちづくり 開府500年、その歴史と文化生かす 「小江戸」交流施設も再現
鉄道が南北に分断 甲府市は山梨県の県庁所在地で人口約19万人の都市である。武田信玄公の父、信虎公が城下町を整備したことに始まり、19年には甲府開府500年という歴史的な節目を迎える。 甲府の中心市街地は甲(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(27) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 栃木県宇都宮市・オリオン通りの再興 県内最大繁華街、空洞化の歯止め徐々に 再開発で居住機能を付加
宇都宮市は栃木県のほぼ中央部、東京都心から約100キロメートルに位置し、人口が50万人を超える県庁所在地である。古くは二荒山神社の門前町として、江戸時代には城下町として栄え、1884(明治17)年に栃木県庁が置(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(26) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 群馬県前橋市・中心商業地の変容 モータリゼーションの影響くっきり 活性化策で回復の兆しも
人出、最盛期の1割以下 モータリゼーションの発達による中心商業地の衰退傾向は全国多くの地方都市に共通する課題だが、前橋市はその典型的な事例となっている。 前橋市の中心商業地は国道50号(本町通り)以北、(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(25) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 長野県大町市・整備事業再開される松糸道路 アクセス改善で工業、観光への期待 新たな需要掘り起こしへ
北アルプスの玄関口 大町市は、長野県北西部に位置する人口約2.8万人の都市で、市西部には3000メートル級の山々が連なる北アルプスが広がり、立山黒部アルペンルートの長野県側の玄関口としても知られている。日本(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(24) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 長野市・善光寺のお膝元商店街、再興なるか 空洞化歯止めへ大型商業計画が浮上 地区特性生かし事業化へ
商業の中心は駅前に 長野市は、国宝善光寺の門前町として平安の昔から全国に知られたまちで、北国街道の宿場町も兼ねた商業都市、観光都市として発展してきた。人口は約38万人で、中心市街地は北陸新幹線長野駅か(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(23) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 新潟市・空洞化から再興へ動く「古町地区」 漫画などの地域興しに行政機能復活も 百貨店跡地開発を起爆剤に
大火、震災乗り越えて 新潟市の代表的な旧市街地である古町地区は江戸時代から地域の中心的な位置付けだった。明治の廃藩置県で旧新潟奉行所は「初代新潟県庁」となったが、場所は現在の新潟三越、NEXT21にまたが(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(22) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 富山市・北陸新幹線開業で駅前地区が発展 かつての中心地「総曲輪通り」に効果及ばず 駅高架化で再開発さらに
富山市は富山県のほぼ中央に位置する県庁所在地で、県内の人口の4割弱、約42万人が生活している。中心部一帯は戦災で焼け野原となり、戦後復興計画により碁盤目状に道路が配置されたことから、中心部一帯は比較的(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(21) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ まず「近江町いちば館」と道路拡幅整備 市民と観光客、共存図る 石川県金沢市・人気の武蔵ヶ辻地区で進む再開発
混雑するバスターミナル 金沢市は前田利家を開祖とする加賀藩の城下町として、昔ながらのたたずまいが人気を集め、北陸新幹線開業以降は、国内外から多くの観光客を集めている。中でも近江町市場のある武蔵ヶ辻地(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(20) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 福井県敦賀市・みなとまちの歴史観光に生かす 〝東洋の波止場〟雰囲気と建造物整備 景観刷新してけん引役に
敦賀市は福井県のほぼ中央に位置するみなとまちである。現在は日本原子力発電の敦賀発電所や、日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」関連の記事が掲載されるため、原子力エネルギーのまちとしての印象が(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(19) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 岐阜県飛騨市神岡町・地域再生へ2つの施策 古いものを生かし新しいものを取り入れる 宇宙最先端科学研究のまち
岐阜県の最北東端に位置する飛騨市神岡町は総面積312平方キロ、人口9000人ほどで、富山県と高山市を結ぶ交通要衝にある。周囲は標高3000メートルを超える北アルプスや飛騨山脈など峰々に囲まれ、神通川の支流であ(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(18) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 茶市場が低迷、工場跡地にマンションも 利便性で住宅地として脚光 静岡市・茶商が集積する「茶町」に変化
静岡駅から1キロの界隈 JR静岡駅北口、呉服町通りを1キロほど歩くと、「茶町」といわれる地名の町に辿り着く。新茶のシーズンともなれば、この茶町界隈は煎ったお茶の香りに包まれる。この茶町界隈のまちなみの様(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(17) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 静岡県浜松市・初の百貨店が開店して80年 バブル期に整備、崩壊で閉店相次ぐ 投資需要で再び地価上昇も
2階建て「棒屋百貨店」 郷土出版社の「ふるさと歴史シリーズ」によると、浜松市で最も古い百貨店は「博品館」という小型百貨店と記されていますが、浜松に初めて出来た本格的な百貨店は棒屋百貨店(地上2階、売り場(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(16) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 名古屋市・「ごった煮」が魅力の大須商店街 「来てもらえる街」へ地道な努力が結実 都心商業地にない面白さ
老若男女国籍問わず 名古屋観光で欠かせない人気スポットといえば「大須商店街」である。名古屋市中区大須2~3丁目界隈の4つの大通りに囲まれたエリアに所在し、東西南北にアーケード街が広がっている。路地裏(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(15) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 三重県四日市市・変化を続ける工業都市 臨海部中心から内陸部の先端型産業へ 公害教訓に環境技術発信
45番目に市制施行 「変化」をキーワードに四日市市をとりあげたい。古くは東海道五十三次の43番目の宿場町として栄えた四日市市は、三重県の北部に位置する県下最大の都市で、1897年に全国で45番目に市制を施行し(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(14) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 滋賀県大津市・駅と港の動線軸に活性化策 スーパー跡地などでマンション建設進む 琵琶湖生かし環境共生も
中心商業地は衰退 大津市は琵琶湖の西南端に位置する滋賀県の県庁所在地で、人口約34万人の都市である。大津市は京都・大阪方面へのアクセスが良好であることから、近年は京阪方面のベッドタウンとして位置付けら(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(13) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 軍事拠点、港湾都市の倉庫資源を見直し 「赤れんがのまち」へ変身 京都府舞鶴市 市民活動と連携し観光まちづくり
引揚者を迎えた港 京都の観光地と言えば1000年以上も都があった京都市を思い浮かべる人も多いでしょうが、京都府には北部または南部にも観光名所は多数あります。今回はその一つである舞鶴市を紹介します。 舞鶴(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(12) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 大阪市 新「大大阪時代」へ乗り越えるべき課題 昭和恐慌からの長期低迷、脱却の機運 グルメ文化に再開発も
大大阪時代 大大阪時代とは大阪市が大正後期から昭和初期にかけて繁栄を迎えた黄金期をいう。江戸時代は「天下の台所」と言われ、中之島・堂島には諸藩の年貢米を貯蔵する蔵屋敷と豪商の屋敷が集まり西日本の経済(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(11) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 兵庫県尼崎市 工業都市から環境モデル都市へ 明治期以降続いた工場跡地を再開発 コンパクト化の先進例へ
尼崎市は兵庫県南東部に位置し、神戸・大阪方面へのアクセスが抜群である。市の東西が河川、南は大阪湾に面する立地により、明治時代の紡績工場稼働以降、旭硝子、関西ペイント、日本リーバ・ブラザーズ(現日油)な(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(10) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 奈良県桜井市木材のまちから観光のまちへ まず県内3大商店街で賑わい復活へ 大神神社参道を新資源に
地価は下落続き 桜井市は奈良盆地の中央南東部に位置し、面積は98.91平方キロメートルで、奈良県総面積の2.7%を占める。奈良市は約20キロ圏、大阪市は40キロ圏にあり、三輪明神として全国的に有名な、我が国最古の(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(9) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ JR駅周辺との格差拡大傾向に歯止め 南海駅中心に活性化計画 和歌山市JRと南海、市東西の表玄関は今
人口は約36万人に 和歌山市はかつて徳川御三家・紀州藩の城下町として栄え、近年では近畿圏南部の最大商業都市、重工業都市として発展。ピーク時には人口が40万人を超え、97年には中核市に移行した。しかし少子高(続く)