全国市街地の変遷 記事一覧
全国市街地の変遷
全国の都市は昭和期に大きな発展を遂げて平成を迎えた後、バブル崩壊を経験して既に29年。長引く不況を通じて大都市と地方の格差は広がりましたが、どっこい、新たな可能性を求めて地方都市の奮闘は続いています。そうした各地の挑戦や取り組みなどを紹介します。
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一般財団法人日本不動産研究所(49) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 熊本県八代市・工業港が外国人観光客の玄関口に 国際船拠点形成計画で施設整備進む 言語など受け入れ態勢鍵に
アジア圏の団体客 先日、いつものように昔ながらの喫茶店にランチで入店すると、聞き慣れないアジア圏の外国語が飛び交っていた。熊本城に近い場所で、日本人の観光客はたまに見るが、アジア圏、それも団体の観光(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(48) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 北九州市・5市合併で誕生してから55年 九州初の百万都市、旧市の名残引き継ぐ 工業と環境で課題解決を
総務省が発表した17年人口移動報告によると、福岡県内では福岡市が全国4位の8678人で九州最多を記録し、周辺市を含めた福岡都市圏への転入が目立った。一方、北九州市では小倉北区が転入超過となったものの、市全(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(47) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 佐賀市・衰退する中心商業地再生へ模索 商店会が相次ぎ解散、シャッター通りに 民間協議会の仕掛けに期待
賑わいのない駅前 JR佐賀駅の出入り口は南北ともに目の前にタクシー乗り場が広がり、人が集まるスペースもなく県都としての賑わいは感じられない。 スーパー大手、西友は売り上げ不振、建物老朽化などを理由に18(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(46) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 鹿児島市・出世駅「鹿児島中央」の歩みと今後 ブルートレインから新幹線の玄関口に 再開発で新たな可能性も
振り出しは「武」駅 鹿児島には、出世魚ならぬ、出世駅とでも言うべき駅がある。「鹿児島中央」駅である。駅名が「武」から「西鹿児島」、「鹿児島中央」と改称された。 鹿児島中央駅の前身は、1913年10月、川内(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(45) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 大分市・県、市挙げて取り組む大分駅周辺整備 駅南北の分断解消で利便性、飛躍的に増大 複合文化、商業施設なども
新産都市の優等生 大分市は県東部で別府湾に面し、人口約48万人(大分県全体の約41%)の都市である。戦国時代には、豊後の武将として活躍した大友宗麟により清やポルトガルとの交易も盛んで繁栄を極めた。現代では、(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(44) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 長崎市軍艦島・廃墟の島から人気観光施設に エネルギー政策の転換で閉山、無人島に 世界遺産登録で一躍脚光
周囲1.2キロの島 軍艦島は正式名称を端島(端島炭鉱)といい、長崎港の沖合約18キロに浮かぶ周囲1.2キロ、約6.5ヘクタールの小さい島である。外洋から見る姿が戦時中建造された軍艦土佐に似ていたため、軍艦島と言わ(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(43) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 宮崎市・〝新婚旅行のメッカ〟青島の今 大淀川沿いホテルはマンション街に 次世代につなぐ観光地へ
今では想像さえできないが、宮崎県は「新婚旅行のメッカ」として1974年頃にはハネムーンの人気ナンバー1の地として有名だった。 南国情緒と縁結び神社 「72年には、戦後ベビーブームに生まれた人達が結婚(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(41) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 「基地の街」から「音楽のまち」で活性化 伝統芸能にロックフェスも 沖縄県沖縄市・チャンプルー文化の発信拠点へ
那覇に次ぐ中心都市 沖縄市は沖縄本島の中央部に位置している。人口14万1775人、世帯数6万824世帯(18年1月1日時点)で、74年にコザ市と美里村が合併して誕生した那覇市に次ぐ人口を有する沖縄県中部の中心都市であ(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(40) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 北海道札幌市・開拓の町から観光都市へ まち並みと都市基盤固めた72年冬季五輪 今また新たな転換期に
命名から150年の節目 18年は明治維新から150年、そして「北海道」と命名されてからも150年目の節目を迎えます。 中心都市札幌市は、開拓使により北海道の中心となるために計画的に建設された、国内では非(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(39) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 青森市・青函連絡船廃止から30年の節目 〝コンパクトシティの挫折〟から脱却へ 駅前庁舎、訪日外国人に活路
本州の玄関口として 青森市は青森県のほぼ中央に位置する県庁所在地で、人口約28万人の県内最大の都市である。北海道交易で栄えた港町であり、青函連絡船が就航することで、本州の玄関口として長らく栄えてきた。(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(38) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 岩手県滝沢市・ベッドタウンの村から市に昇格 盛岡市に隠れがちな存在から脱却へ 都市基盤整備で2つの事業
滝沢市は岩手県中央部、県庁所在地・盛岡市の西部に位置し、基幹産業は農業と畜産、加えて近年は果樹・野菜・酪農も盛んである。また盛岡市のベッドタウンとしてニュータウン開発が相次いだ結果、人口は堅調に増え(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(37) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 宮城県石巻市・震災復旧の「発展期」段階に JR石巻駅中心に新生市街地整備へ 行政機能と商業集積図る
石巻市は、宮城県北東部に位置する県内第2位の都市である。江戸時代より河川交通と海運との結節点である交易都市として繁栄した。 現在の中心市街地は、明治期に官衙地区が形成されたことにより市街地として発展(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(36) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 秋田県鹿角市・栄えた鉱山の町から観光都市へ 十和田八幡平からユネスコ文化遺産まで 豊富で多様な資源を活用
1300年前に開山 鹿角市は秋田県の北東部に位置し、かつては盛岡藩の領土だったこともあり、県都秋田市よりも盛岡都市圏との結びつきが強い。72年に花輪町、十和田町、尾去沢町、八幡平村が合併し市制を施行した。(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(35) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 山形市・築古建物を活用したまちづくり 再開発と保存で活気取り戻した七日町 玄関口、駅前整備が焦点
一等地に明るい兆し 山形市の商業地では近年、地元不動産業者による複数のオフィスビル購入、シティホテルの事業譲渡、デパートのサテライト店舗やアウトドア店の山形駅前や周辺へ新規出店など明るい兆しがある。(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(34) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 新白河駅周辺と明暗分かれ空洞化進む 文化交流館など白河駅前に 福島県白河市・中心市街地活性化計画に成果
郊外の大規模商業 白河市は、福島県中通り南部に位置する人口約6万2千人の都市である。毎年2月11日に行われる「白河だるま市」や9月に行われる「白河提灯まつり」など、多くの観光客が集うイベントも行われている(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(33) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 茨城県水戸市・2つの再開発を起爆剤に 空洞化対策で「まちなか」活性化ビジョン 水戸駅北口に新市民会館など 〝上市〟と〝下市〟
水戸市は人口約27万人を有する茨城県の県庁所在地で、現在の中心市街地はJR水戸駅を中心に形成されているが、江戸時代には台地の上下で分かれていた。馬の背状の台地に広がる通称〝上市〟の西側(現在の泉町、大工(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(32) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 千葉市・千葉駅の移転で動いた商業中心街 JR駅周辺への集中が強まる兆しだが… 中央公園周辺、跡地開発に活路
JR千葉駅と京成線駅 千葉県の県庁所在地、千葉市は東京から約40キロに位置し、その一部は東京湾に接し、温暖な気候風土である。92年4月の政令市施行で設置された中央区は、県内全域の行政、経済、文化、交通の中心(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(31) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 東京日本橋兜町・「証券の街」復活へ壮大な計画 IT化で転出相次ぎ、再開発機運高まる 国際金融の拠点、再構築へ
東京駅から東へ1キロほど、日本橋川沿いの日本橋兜町に東京証券取引所がある。 渋沢栄一の青写真 この街を日本のシティやウォール街にする――日本資本主義の父である渋沢栄一は、そのような青写真を描いていた。(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(30) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 西武ライオンズ進出で「野球の町」に 商業振興へ表玄関も整備 埼玉県所沢市・駅周辺再開発などに活性化の期待
東京のベッドタウン 所沢市は、東京のベッドタウンとして知られている埼玉県南部に位置する人口約34万人の都市である。 1911年、明治政府によって日本初の航空機専用飛行場が設置された。開設当初の規模は約76.3(続く) -
一般財団法人日本不動産研究所(29) 全国市街地の変遷 ――昭和の記憶から次代へ 横浜市・幾度も変遷を経た中区山下町 震災復興のシンボル「ニューグランド」 新旧混在、千変万化の「まち」
開港で外国人居留地に 山下町は江戸末期の開港で外国人居留地となってから市街化が進み、何度も「まち」の様相を変え現在に至る。歴史を紐解くと幕末の様式建築の商館やホテルが次々と建てられ、明治時代に入り貿(続く)