空き家問題の深刻化は数量的には我が国が〝住宅過剰時代〟を迎えていることを示している。しかし「質的にはまだまだだから新築供給は必要」という供給者の意見は正しい。問題は満たされていない〝質〟とは何かである。
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既存住宅の耐震化率は18年調査で戸建てが81%、共同住宅が94%となっている。新築が耐震性を満たしていることは当然である。一方、省エネ化率も既存住宅では3割ほどが不十分だが、新築は80%以上が一定レベル以上に達している。25年からはすべての新築住宅に省エネ基準が義務付けられることになっている。
では、新築住宅はこれからもこの2つの要素(耐震性と省エネ性)を満たしていけばいいのだろうか。新築住宅に求められている質的改善点はほかにないのだろうか。その点を研究するために22年11月に発足したのが一般財団法人「ひと・住文化研究所」(ひと・住文化研)である。
ひと・住文化研代表理事の鈴木静雄氏は言う。
「思想なき住まいが家族や日本という国を滅ぼしてきた罪は重い」。思想を文化と言い換えれば、これからの不動産業界・各団体には日本に住文化を育成するための先導役になってほしいという強い想いが表れている。
生活の基盤である「衣・食・住」のうち、衣と食についてはとうに豊かな文化を謳歌している。住宅もいずれハード中心の思考から抜け出し、ひとの心をうるおすソフト(文化)として捉えられる日が来るはずである。
とはいえ、住宅は衣や食のように日々選択するということはできない。購入する場合には高額な資金が必要というだけでなく、そもそも一生のうちに住む家は限られる。しかも自分が世帯主として住まいを選ぶ機会は1、2度というのが普通である。だから住文化は育ちにくいという説がある。
提案者は誰か
この種の意見の間違いは、やはり住宅をハードとしてしかとらえていないところにある。住文化は住み替えた住宅の数が問題ではなく、そこで暮らした日々の生活の質によって形成されていくものだからである。前号で取り上げたBESSの新商品『間貫けのハコ』のコンセプトは、筆者の解釈では〝農家のように、のどかに暮らす〟である。そこで用意したのが広い縁側で、そこで日向ぼっこをしたり近隣の人たちとの世間話を楽しむ。そうした日々の何気ない時間こそが幸せの根源であるという思想を提供しているのだ。ひと・住文化研代表の鈴木静雄氏が求める〝思想〟もそういうものだ。
つまり、住文化は生き方の提案から始まる。提案者は注文住宅のように住まい手個人の場合もあるが、現代のように分譲が主流の時代には造り手の側に主導権がある。まさに住宅のプロである事業者が「幸せを感じる住まいとはこういう暮らしではありませんか」という提案をしていかなければ何もはじまらない。住宅過剰時代に耐震・耐久性、省エネ性、最新設備の話だけでは市場に深みが生まれない。「最新の性能と設備が整った家で快適にスマートな暮らしがしたい」という文化もあるのだろうが、利便性と快適性だけの追求で〝ひと〟の心が満たされるとも思えないのである。
では〝ひと〟の心はどのように形成されるものなのか。ひと・住文化研では住宅だけではなく、ひとの研究も欠かせないテーマとなる。精神科医で作家の岡田尊司氏は『回避性愛着障害』(光文社刊)という著書の中でこう述べている。
「今では多くの人が自分一人で過ごす時間や自分のために使うお金を削ってまで家族を持ちたいとは思わなくなっている。それは経済問題とは別のところに原因がある。そこには愛着が希薄になり、回避型愛着が浸透していることが関わっている。我々の身には人間が別の〝種〟へと分枝していると言えるほどの生物学的変化が生じている」
この仮説は筆者の「今の社会は人の人に対する関心が希薄になっている」という観察と強く符合する。