某大手流通会社の担当者によれば、コロナ下で住宅がよく売れている最大の要因は〝コロナ貯蓄〟だという。
コロナ貯蓄とは外食や旅行が制限されたために消費に回らず期せずして増えてしまった貯蓄のことである。
日銀はこれを「強制貯蓄」と呼び、その額は昨年1年間だけで20兆円に達したという。その大部分は中・高所得層によるものである。そうした余剰資金がパワーカップルなどの住み替え需要を誘発し、住宅市場に流れ込んでいるというわけである。
テレワークのために部屋数を増やしたいとか、趣味の菜園を楽しむため戸建てに住み替えたいといったニーズが高まったことは確かだろう。しかし、大本で起きていたことは、コロナ自粛で手元資金に余裕が生まれた高所得世帯が住宅購入を積極化したというだけの話だったようだ。
こうした現象は米国や中国の住宅ブームの背景としても説明されてきた。ただ、私はそれが日本でも起きているというイメージを浮かべることができなかった。〝1億総中流時代〟を刷り込まれた世代の後遺症なのか、日本でも進んでいるという所得格差に対する感度が鈍いのだと思う。
感度を磨け
コロナ貯蓄による住宅価格の高騰は、バブルの時にまず株が上がり、その恩恵を受けた投資家の資金が大量に不動産市場に流れ込んだ構図と似ていなくもない。つまり、現在の住宅価格の高騰は〝コロナバブル〟と呼んでも大きな間違いはではないということだ。経済バブルは気付くことに遅れても経済的損失で済むが、社会の根底で起きている変化の中には遅れてはならない気付きもあるのではないか。
例えば、昨今コンビニでの支払いが自動化され、無人店舗も出始めた。新幹線が自動運転となる日も近いらしい。コスト削減を金科玉条とする「自動化」が人間社会を覆いつくす。いずれ単純労働から専門職まで多くの人間の仕事はAIに取って代わられる。人間の無用化が進む社会が、人間が気付かないうちに形成されようとしているのだ。
大本で起きている変化に気付くためには人間がその感度を磨くしかない。AIの台頭や地球温暖化問題によって迫られている未来の選択を誤らないためにもだ。
AI問題を端的にいえば、感性を必要としない機械(AIロボット)と、感性こそ心の発生源と見る人間との戦いである。コンピュータ(機械)が人間に対抗意識を持つことなどあり得ないと誰もが思うわけだが、果たしてそうだろうか。そもそも意識とは何か。人間の意識について解剖学者の養老孟司氏はこう述べている。
意識とは何か
「人間の脳は目や耳などの五感から入ってくる情報を大脳皮質のそれぞれ異なる場所で処理しているが、それらを統合するのが自己意識である。分裂病(統合失調症)はそこに支障をきたし、自分の脳の中で起こっていることなのに、それを自分がやっていることのようには感じられない病気である」
「ということは、コンピュータが意識を持っていないだろうということは比較的分かりやすい。なぜかといえばコンピュータは入力が極めて単調で、人間の五感に相当する機能の分化がないからだ。でも様々に分化したセンサーにコンピュータをつないでいって中枢を組み立てれば、いずれはコンピュータに意識がないといえる保証はなくなるだろう」
ロボット開発の科学者の中にはロボットに意識を持たせたいと考える研究者は必ずいると思う。そして、ロボットが意識を持ち、自分たちの〝人権(?)〟を主張し始め、人間よりもロボットに適した社会を求めるようになる。
利便性や合理性、効率化を重視するあまり、機械化や自動化に疑問を挟まないのが現代社会の特徴だ。しかし人間あっての社会である。人間同士の接触、交流の場があればこそ社会は豊かになる。不便や無駄があるからこそ感情が生まれ、人間の感性が磨かれていく。