結婚し、子が出来れば親は長きにわたって大切に育てるが、社会人として独り立ちできるようになった子は当然のごとく親元を離れ、新たな家庭をつくる。だから常に新たな住宅が必要になり、親が住む家はいずれ空き家になる。しかし、住宅はあるじがいなくなっても簡単には崩れない。解体作業が必要だ。
親が30歳代で新築住宅を購入し、90歳代で亡くなるとすれば住宅が住宅として機能していた期間はわずか60年余り。亡くなるまえに高齢者施設に移ればその期間はもっと短くなる。しかも、親と子が一つ屋根の下で暮らす期間はおそらくその半分程度だろう。そんな空しい住まいづくりが世界のどこにあるだろう。
空しい細胞分裂を繰り返す核家族社会を前提にするなら、あるじがいなくなった住まいは速やかに流通市場に乗せ、次の住み手を早く見つけるようにしなければ、空き家は増える一方だ。それを〝持続可能な社会〟とは言わない。
◇ ◇
高齢者が独りで住んでいたが施設に移ったため、空き家としてそのまま放置されている住宅は実に多い。実は筆者の隣の家もそうした空き家になってそろそろ2年目を迎える。隣が空き家というのは決して気味のいいものではない。空き巣泥棒から見れば空き家の隣は狙いやすい。鳥が巣を作れば朝から騒々しくてかなわない。草木や雑草が伸びてくるのは可愛いほうである。
筆者の隣の家は当方よりも立派なのでそれ以上の心配はしていないが、近所には少し朽ちかけているような空き家もある。そうした空き家は確実に景観を落とすし、中には両隣が空き家という気の毒な家もある。
国民的合意
空き家はたとえ住んでいなくても固定資産税が掛かる。放置する期間が長くなるほど税負担は馬鹿にならないし、いざ売却(または賃貸)することになった場合のリフォーム代もかさむ。解体費も年々高騰しているのが現状だ。
つまり、空き家は所有者にとって早期処分が肝要となる。そのためには〝空き家〟の活用について国民的合意(コンセンサス)を確立する必要がある。「空き家は世代を超えて住み継がれる町にするための貴重な資産である」という認識が社会に定着すれば空き家流通が社会システムとして機能し始める可能性がある。
そのためにも空き家バンクを運営する自治体が親子の近居を目的とする購入(または賃借)に対しては当該取引を優先し、さらに経済的支援を行うようにしてはどうか。
自治体にとっては世代間の連携を強めながらの定住人口確保という大きなメリットを得ることができる。離れて住んでいた子世帯が近くに引っ越してこられるならそれにこしたことはないが現実は難しい。そこで子供が独立して新たな家庭を設けるときに将来の親の老後に備えて同じ市内にある空き家に住むという「計画近居」の推奨が画期的施策となる。
こうして親・子・孫の三世代が近居を繰り返し住み継いでいく町づくりができれば、衰退を続ける多くの地域社会の再生を果たすことができる。かつての大家族主義のように3世代が同じ屋根の下で暮らさなくても地域レベルで同居していけば、町に潤いある良質なコミュニティが形成されていくだろう。これは今後更なる少子高齢化と人口減少で将来不安が高まる一方の日本を元気づける、唯一の社会工学的変革となる。
空き家を親子の近居を進める貴重な地域資源と位置付けることで、空き家防止と少子化抑制という2つの課題の同時解決につなげることができる。親子三代の近居が実現すれば核家族でも子供を安心して産み育てる環境が整うからである。介護離職など親が高齢になってからの後追い近居ではなく、そうなる前からの「計画近居」こそ、日本の家族社会を持続可能なものにする唯一の手法と言えるだろう。