津波や原発事故を含む、未曾有の大震災から14年。巨大な揺れを体験した場面が脳裏をよぎる。半面、そのとき感じた恐怖や教訓が薄れつつある気もする。住まいや生活を根こそぎ奪う自然災害は途絶えず、慣れという名の鈍感力が働く。いや、物価高騰という生活環境の圧迫が勝り、災害への意識が後回しになっているのか。いずれにせよ、重要な何かが警告音を鳴らしている。
▼ライフルグループが先日、高齢の親の防災意識に関する調査を行った。それによると、子と同居する親の意識は39%で、別居する場合より約12ポイント高くなった。同様に、防災について親子で会話するのは、子と同居が53%、別居が32.6%で約20ポイントの開きが確認された。埋められない差ではないと思う。むしろ、居住形態の違いを超えて、意識を高める働きかけが重要であると示唆している。
▼親子の会話の重要性は、空き家の調査でも指摘される。シニア層による問題の先送り化が対策の遅れの要因のようだ。ならば、親の出方を待つのではなく、良き聞き手として会話を促す姿勢が子に求められる。英文学者の外山滋比古は著書「知的生活習慣」の中で、「聡明とは、聞く耳の賢さが見る賢さより上位にある」と記した。目先の情報に一喜一憂してはいけない。家族の命や資産に関わることである。今こそ、聞き、話し、感じたことを共有する。親子でそんな時間を持てることが幸せではないか。