ど素人から金持ち大家さんになった人々

第19回 沖縄で新築6棟と軍用地に投資して45才でセミリタイアした三浦弘人さん【前編】

三浦弘人さんのプロフィール
1966年東京都生まれ。都内のカツラメーカーに就職後、転勤で沖縄に赴任。沖縄の女性と結婚したのを機に、地元のハウスメーカーに転職し、空室を出さない賃貸経営術を習得する。2004年からアパート経営を始め、45才でセミリタイア。家賃収入は約6,500万円。著書に「満室の3倍儲かる非常識な投資法―――手取り1,800万円らくらく稼ぐ合法的裏ワザ」(ダイヤモンド)がある。

■ 転勤先の沖縄に居残るためにハウスメーカーの沖縄支店に転職

――自己紹介をお願いします。

三浦弘人さん 
沖縄で大家をしている三浦です。2004年に不動産投資をはじめ、これまで6棟のRCマンションを建てました。借入れは軍用地の3億円を含めると8.5億円で、賃料収入は約6,500万円。4棟目が完成した2012年に45才で会社を辞めて、専業大家になりました。

もともとは東京生まれで、都内でカツラメーカーの営業をしていました。29才の時に沖縄に転勤になり、30才で現地の女性と結婚して以来、沖縄に住んでいます。会社まで徒歩15分、平日に海へ泳ぎに行ける暮らしをするうち、心が豊かになったような気がしたんです。

――もともと沖縄が好きだったのですか?

三浦弘人さん 
実は、最初は仙台へ辞令が出たんですが、寒いところが苦手なので欠員が出ていた沖縄へ行きたいと会社に直訴しました。若い頃は東京湾のお台場でウインドサーフィンをやっていたくらい海が好きです。

もともと、釣りバカ日誌のハマちゃんのような、出世よりも好きなことをする生き方に憧れていたので、のんびりとした沖縄に越してきた時は、自分にぴったりだと感じました。

途中で一度、転勤で鹿児島に住んだのですが、沖縄育ちの妻が「寒くて生活できない」というので、会社に頼んで沖縄に戻してもらいました。でも、そんなことはずっと続かないと思い、転勤のないハウスメーカーの沖縄支店に転職。そこでアパート経営について学んだことが、今の自分につながっています。

■ 沖縄は日本で一番空室が少ないエリア

――沖縄の賃貸事情について教えてください。

三浦弘人さん 
日本全国で空室が一番少ないエリアです。人口増加率は日本一で、出生率も1.94あり、県民の平均年齢も一番若い。ただし、台風対策もあり、建物は基本的にRC造なので建築費は高めです。家賃は人気のある場所のワンルームで5.4万~5.5万円。中古でも家賃が落ちにくいので、中古の流通量は非常に少なく、利回りも東京並みに低いですね。

観光客が増えて景気もいいですし、区画整理事業で本土からドン・キホーテ等の大型店舗が進出しており、雇用も右肩上がりです。デメリットとしては、潮風による塩害で建物が傷みやすいこと等があります。あと、あまり知られていませんが、軍用地投資という沖縄ならではの投資があり、そちらはやり方によっては大きな利益が出るので、私も持っています。

――本州のいわゆる「地方」とは随分と状況が違うのですね。ところで、カツラメーカーの営業マンだった三浦さんが、畑違いのハウスメーカーへ転職されたのは、なぜですか?

三浦弘人さん 
大橋巨泉さんの「人生の選択」という本を読んで、人生の後半戦は好きなことをして生きたいと以前から思っており、資産運用にも興味がありました。そんな時にターニングポイントがありました。

1999年に自分の住む部屋を探すために見ていた無料の不動産情報誌の売買コーナーに、中古アパートの広告が出ていて、それを見たときにピンと来たんです。

■ 仕事を通じて、埋まる立地、埋まる間取りがわかるようになった

――ハウスメーカーの営業というと、地主さんをまわって新築アパートを営業する仕事ですか?

三浦弘人さん 
そうです。2000年に入社して、2004年には一番の古株になっていたくらい、ハードな仕事でした。CMも流している大きな会社で家賃保証もしているので、すんなり売れるのかなと思っていたら、全くそんなことはないんですね。

ただ、沖縄の建物は鉄筋コンクリート製で、他のエリアと違って、敷地に合わせて注文建築のようにアパートを造れるんです。金太郎飴のように同じ建物を営業するのではなく、自分の企画力で賃貸経営の成否が決まるわけですから、やりがいはありました。

とはいえ、別の営業マンが売った物件の空室が埋まらず、社内で問題になることもありました。自分自身も、長く埋まる物件よりも、最初の利回りが高く見える物件の方が売れやすいという現実に、営業マンとして葛藤した時期もあります。

――優秀な営業マンだったのですね。

三浦弘人さん 
最初は、「内地の人は口がうまいから、信用できない」「どうせすぐに内地に帰っちゃうんでしょ」と相手にしてもらえませんでした。効果があったのは、「妻が沖縄生まれ」という一言。それに、カツラの営業で人の悩みを解決する仕事を長年やっていたので、地主さんの悩み相談に自然と対応できたのも良かったと思っています。

ちなみに、妻が沖縄の出身ということは、銀行でも有効でした。本土の人間が沖縄に不動産を買おうとすると、金融機関はかなり警戒するんです。でも、妻が沖縄の人とわかると、急に心を開いてくれて、話が進みやすくなりました。

――ずっと営業の仕事をされていたのですか?

三浦弘人さん 
いえ、途中、どんどん部屋が増えているのに客付けする社員が足りないということで、客付け部門を自ら希望して異動しました。半年間、毎日、客付けをするうち、どんな物件が決まりやすいか、ハッキリと見えるようになり、その後、審査部門に異動したときには即、満室になる物件を企画できるようになっていました。

この経験を生かして、自分も2004年に土地を購入し、アパートを建てたんです。沖縄は中古アパートの流通量が少なく、あっても修繕費がかかったり、入居者集めに苦労したりしそうなものばかりなので、新築の方がリスクは少ないと判断しました。埋まる立地、埋まる間取りを徹底的に研究していたので、うまくいく自信はありました。

■ 埋まる物件の前に、「埋まらない物件を建てない」ことが大事

――具体的には、どんな物件が埋まりやすいと感じましたか?

三浦弘人さん 
埋まる物件を建てるというよりも、埋まらない物件を建てない、ということのほうが大切です。例えば、玄関を開けて部屋の中が丸見えの部屋はダメ。ウォークインクローゼットは大きいものがひとつあってもダメで、適度な大きさのものが複数あった方がいい。掃除機やFAXなど、物の置き場がないのはダメ。

その他にも、1階で通行人と目線が合う物件はダメ。隣にある建物の窓と向かい合っているのはダメ。駐車場があっても駐車しにくいのはダメ、等々・・・。特に、収納と視線対策については気をつけました。

利回りも上げないといけないので、全部をクリアするのは簡単ではありませんが、かといって、営業部門の話を鵜呑みにしていたら、後で大家さんが苦労することになります。自分のポリシーとして、「埋まる物件を造る」ということがあったので、そこはがんばりました。

――ハウスメーカーに入って4年目に、自分の物件を建てたそうですが、アパート経営を始めるにあたって、目標などはあったのでしょうか?

三浦弘人さん 
セミリタイアを考えていたので、会社を辞めても困らないように、給料以上の手取りは欲しいと思っていました。親兄弟のいる東京への移動費も考慮すると、まずは1カ月に100万円、1年で1,200万円を手取りで得ようと目標を立てました。家賃収入にすると3,600万円~4,000万円くらいの水準です。この目標は、7年で達成できました。

後編:第20回 家賃年収6,500万円。ハウスメーカー時代に会得した「空室が出ない賃貸経営術」【後編】


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