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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇157 故 二木浩三氏を偲ぶ アールシーコア創業者逝く 〝オアシス業〟が遺言に

 自宅用ログハウスを展開するアールシーコア(BESS)代表取締役会長の二木浩三氏が24年12月11日、肺炎のため東京・世田谷区の自宅で亡くなった。77歳だった。二木氏は85年にわずかな同志と共に会社を設立。住宅市場に感性マーケットという独自路線を切り拓き、20年には累計2万棟を達成した。コロナ禍を乗り越えた今年6月に社長を勇退。壽松木康晴社長を中心とする新体制に引き継いだ直後の悲報となった。

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 涙が止まらない。なぜなら、二木氏ほど庶民の幸福と住まいとの関係を探求した経営者を筆者は知らないからだ。幸福とは何か、人間とは何か、だから住まいはこんな風にあってもいいのではないかと、次から次へとアイデアを繰り出すその発想力に誰もが脱帽した。それなのに決算説明会や新商品の発表会冒頭に現代社会への警鐘を語るその語り口調はどこか恥ずかし気で、報道陣よりも自分に言って聞かせるような謙虚さに満ちていた。

楽しむが勝ち

 二木氏の真意はどこにあったのだろうか。いつだったか、「人生は楽しんだ者勝ち」と笑った顔に、筆者はこの人の諦念を見た思いがした。人を信じていたのか、あるいは自分さえ信じられない人間が何を思い上がっているのかと人生の深い闇と向き合っていたのか、今は知る由もない。しかし、二木氏が住まいを通して求めていたものははっきりと分かる。

 約40年前の会社設立当初は「ビッグフット」というブランド名でスタートした。住まいはステータスではなく、遊びの拠点として使い込んでこそ楽しいのだという思いを込めた「家は、道具」と言い切ったキャッチフレーズが業界を驚かした。そのほかにも「家自慢より、暮らし自慢」「〝住む〟より〝楽しむ〟BESSの家」(ブランドスローガン)、「便利さは程々がいい」など新たな気付きの言葉を次々に発して業界の異端児とも言われてきた。

 しかし、ある日筆者が「最近は業界のほうが感性マーケットに追いついて来ましたよ。もう異端とは言えませんね」と言うと、淋しそうに笑っていたことを思い出す。社長引退直前には「合理主義に走る時代の渇き、人間関係の希薄化で渇く人の心を癒すため、BESSはこれから現代人の〝オアシス業〟になる」と宣言。バトンを引き継いだ壽松木康晴新社長とのタッグによる新たな展開が期待されていた矢先だった

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 二木氏は1947年3月4日生まれ。いわゆる団塊世代(47~49年に生まれた806万人)の先頭で筆者は後尾の49年生まれ。2つ違いだったが同じ時代を生きてきたからか、インタビューのときは不思議なほど気が合い、よく楽しい議論をした。

 団塊世代は昨今、人間が小粒になったと自分を差し置いてよく話す。しかし、二木氏ならそれを堂々と言う資格があったのではないか。なぜなら謙虚な言葉とは裏腹に信念を大胆に行動で示す人だったからだ。

 「楽しいという感情は人生にとって最高のもの。だからそれを引き出す仕掛けが住まいには必要」

 「楽しくて面白い未来をつくっていくのが我が社の使命。閉塞感を打破するような突飛な発想は大バカでなければ思いつかない。大バカとはそれが何であれ本気で取り組む人間のことだ」

 二木氏は実は大バカになりたかったのだと思う。だから会社には「狂狷の道」と書かれた大きな額を掲げていた。狂者は理想を追う者。狷者はたとえ一億円の金を積まれても嫌なことは断じてしない頑固者。二木氏は両者をめざして遂に倒れた。 

 深い思考の友は突然遥かな空に旅立ってしまった。人生とは、住まいとは、住まいを楽しむとはどういうことかについてもっと、もっと深く語り合いたかったのに……。

 お別れの会が25年1月22日、東京・代官山の「BESS・MAGMA」で行われる。