「口は災いの元」「問うに落ちず語るに落ちる」…。とかく、人間というものは多弁を弄(ろう)する動物だが、それによる失敗も多い。それは、古来からのことわざに多く取り上げられていることからも分かる。
▼この時期、不動産業界では多くの団体が総会を開いている。団体長のあいさつは、不動産業を取り巻く現状を端的に表したもの、団体の直面する問題を率直に述べたものなど、勉強になる。南村全日兵庫県本部長は「自分の想いを伝える言葉選びの重要性を再認識させられる」とあいさつの中で述べ、一層の日本語の研鑽を積みたいとまで言うのは、例の騒ぎがあったからだ。
▼大阪市の橋下徹市長の従軍慰安婦に関する発言や「風俗活用」を米軍に進言した問題は、市長の訪米がキャンセルになるなど大きな社会的影響が起き、一向にその余波は収まる気配がない。市長の「誤報」「日本人の読解力がない」など、責任転嫁のような発言が続き、多弁が止まらないからだ。
▼韓国でも、「原爆は天罰だ」とするコラムを代表紙が掲載するなど、多弁の害は広がるばかり。「沈黙は金、雄弁は銀」「巧言令色鮮(すくな)し仁」など、諸外国にも戒めることわざがある。ツイッターなど簡単に自分の主張ができるツールができ、言葉の重みが薄れているのだろうか。言論の自由の意義を自ら失わせてはならない。