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酒場遺産 ▶111 王子 宝泉 創業当初はわずか3品だった

 王子駅からほど近い王子駅東口エリア(王子一丁目)には、「山田屋」「宝泉」をはじめ古い酒場が多い。「宝泉」は柳田公園に面した一角にひっそりと佇んでいる。暖簾(のれん)をくぐり、年季の入った木製の引戸を開けると意外な空間が広がる。独特の配置だ。左手には「ロの字カウンター」、右手には厨房とつながる「コの字カウンター」が並ぶ。それぞれ20席ほど、キャパは40席ほどだろうか。僕はコの字カウンターの隅っこに座ったが、少し離れたところにいた大女将が心配そうに「こんな隅の席でいいんですか。時々、隅っこに座らされて怒ってしまうお客さんもいるんです」と声をかけてくれた。「いえ、この席は落ち着きますから」と返し、ぽつぽつと会話がはじまった。

 年齢85歳になるという大女将は、55年前、30歳の時にご主人を突然亡くし、2人の子供を抱え途方に暮れていた時、知人からの紹介で王子に店を開くことを決意したという。横浜の自宅を売り払い、この地に店を構えた。「最初はカジノみたいな店をはじめたのよ」と言う。全くの未経験ながらディーラーを務め、商売としては成功したらしいが、「いつまでも続けていられない」と、居酒屋へと転じた。壁に下がる無数の短冊メニューは店の歴史の深さを物語る。 創業当初は「お新香、肉じゃが、おひたし」のわずか3品だったが、徐々に増やしていった。330円・390円・490円と値段別に並べられたメニューの木札だが、古くからのものは飴色に変色し、色の薄いものは新しいものらしい。今夜頼んだのは、白鹿一合、肉じゃが、鮪の刺盛り。鮪は鮮度が良く、白鹿と相性も良い。左手「ロの字型カウンター」は主に大女将が、右手「コの字カウンター」は主に2代目女将夫婦が仕切り、更にその息子も店を手伝う3世代の家族経営だ。お客はほぼ常連で僕のような風来坊は珍しいようで、大女将は様々な話をしてくれた。大女将がこの店を開き、既に半世紀以上が経つ。 (似内志朗)